17年前の今日は、忘れもしないあの阪神大震災です。
 
そんな1月17日は、毎年こういうグッズの点検をしています。
子供達は、毎年1月17日に学校で避難訓練があります。
 
私は、あの17年前16日晩から男女4人で遊んでいて深夜12時頃に肝試しスポットに行きました。
六甲山系の関西では、有名な所でした。
元病院のスポットは、とても気持ち悪い所だった。
 
そんな遊び友達と別れて午前2時頃に実家の自分の部屋で水割りを飲みながらベットに。
遊び疲れて眠たいはずなのになぜか眠れません。
むしろ木造住宅の木が弾ける音『パチ...パチ...!』が気になります。 
そして眠りかけた明け方...急に『ゴ~~~!』と言う音と同時に経験した事も無い揺れが。
棚の上に置いていた19インチブラウン管TVがベッドの足下に転がり本棚などみんな倒れてきます。
 
私はてっきりこれが有名な映画で見たポルターガイスト現象だ~!と思いこみ
布団に潜ることしかできませんでした。
揺れも収まり周りの家でも声が聞こえます。
そこでこの現象は、私の部屋だけじゃないとわかりました。
 
真っ暗な中、親が気になりベットをおりた瞬間足の裏に激痛が。
寝る前に飲んだ水割りの割れたコップを踏んだんです。
 
夜が明けて仕事場の店が気になり多少の地割れでも走れる四駆を走らせました。
途中1mほどの地割れやコンクリートで出来た電柱が倒れております。
高い町が見渡せる所に出た瞬間...。
自分の目を疑いました。
町は、火事らしく5本の太い黒い煙が空高く上がっております。
そうです。
私の住んでいる町が地震で崩壊したのでした。
友人のお母さんも亡くなり消防士になった友人からは、火事でも水が出ず焼けるのを見ているだけ、
建物の下敷きになっている方も重機が無くどうしようもない現状を知らされました。
 
当時私が出来た事は、30万円分ほどの店と工場の和菓子を家を失った方々が居られる
避難所に持っていくだけでした。
そんな和菓子持っていった時に一言お婆ちゃんが『和菓子好きやねん。』
笑顔で言ってくれた事を覚えています。
 
それから復興の道が始まります。
仕事の和菓子屋なんかそんな復興のご時世売れるわけ有りません。
住んでいた実家は、半壊でしたが国の援助もスズメの涙ていどなので、
みんな贅沢せず自分の家を直すのが精一杯でした。
メディアも取り上げなくなった被災後半年で阪神大震災の被災地域の事は、
被災地域外の方々からは、ほとんど忘れられていたと思います。
でも被災地域では、復興の為にみんな関西独特の笑いと根性で頑張っていました。
 
17年経った今年は、去年の東北で起きた震災の事もありとても複雑な気持ちです。
壊れた町は、必ずいつか復興すると思います。
しかしながら奪われた命は、戻ってきません。
阪神大震災で家族を奪われた方々は、17年経ってもあれから時間が止まって癒されないと思います。
でも人間は、前を向いて歩くしか道が無いんです。
 
今回被災していない私に出来る事は、わずかな募金とこんな記事をUPするだけ。
 
『前を向いて諦めずに生きて下さい。
 あなた達の町は、あなた達が       復興しようとしないと始まりません。
 家族の為、子供達の為、自分の為に
 まずあなたが立ち上がって下さい。』
 
 
偉そうに聞こえるかもしれませんがこれが阪神大震災を経験した私のエールです。
最後に17年経った当地方は、99%復興したと私的には、思います。
これから復興の道のりが大変だと思いますが陰ながら応援しております。
ちなみに私は、町に残り家庭を持ち和菓子職人を今でも続けております。


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