1995.1.17から24年経ちました。
写真提供 西宮市
私の地元も震度7の揺れでたくさんの建造物が壊れ
たくさんの方々が亡くなりました。
あの頃の若者も今では、ええおっさんですわ。←私の事
24年経って色々変わりましたが1.17の記憶は、鮮明に思えています。
地震前夜は、男女4人で雪の六甲山某所に肝試しに行って
帰宅したのが午前2時。
シャワー浴びて布団に入ったがなかなか眠れません。
朝から仕事なので早く寝たいが木造住宅の実家の私の部屋は、変な音がします。
『パチッ!....パキッ!...』
幽霊でも連れて帰ったか?なんか思いながら布団かぶります。
その後、少し寝ていたと思いますが突然大きな音で地鳴り。
部屋の19インチブラウン管テレビは、飛んでくるし棚は、倒れるし...
『これがポルターガイスト現象か~~!』(*_*)
布団かぶりながら肝試しで絶対連れて帰ったと思っていました。
しかしポルターガイスト現象では、無かったんです。
隣の家でも『キャ~~!』とか聞こえます。
私の部屋だけで無い感じ!
親父が『大丈夫か?余震また来るぞ~!』と叫びます。
これ...地震?
その後、停電している真っ暗な部屋でガラスが割れていると気づかず
足を切りましたが軽傷でした。
家は、何とか倒れずに持ったが家中の物が倒れています。
自宅1階は、和菓子工房なのですが重たい業務用冷蔵庫まで倒れています。
写真提供 西宮市
その後、数時間で電気だけ復旧してTVで何が有ったか理解しました。
『良く通る阪神高速神戸線がえらい事になっているやん!』
ちなみにガスと水道は、復旧に1ヶ月ほどかかりました。
店が心配だったので店の方に車を走らせると...
電柱は、倒れているし地割れがあちこちに。
視界が開ける所まで行った時に...
『なんや~!これ???』
あちこちで煙りが上がっています。
店の入っている雑居ビルは、無事でしたが中は、めちゃめちゃで
水、ガスが出ないから当分営業は、不可能。
在庫の和菓子数百個は、市内で一番大きな避難所に持って行きました。
避難所のおばちゃんが
『和菓子なんてもう食べられへんかと思っとった。』
泣きながら私に『兄ちゃんありがとうな~。』(T_T)
今であの、もおばちゃんの涙を忘れられず、
人を幸せにする和菓子を作り続けています。
あれから24年、神戸市の私立中学に行っている娘は、今日、震災記念の公園で
炊き出しのカレーを食べたらしい。
当時、炊き出ししてくれるボランティアのご飯がどれだけ
ありがたいかを娘に説明しました。
最後まで読んで頂ありがとう御座います。
今日は、ちょっと真面目ネタでしたね。
まだまだ当時のネタは、いっぱい有るのですがまた来年の1.17で。

「1.17から24年経ちました。」に2件のフィードバックがあります

  1. SECRET: 0
    PASS:
    あの日は早出勤務で、愛知県でもかなり揺れ、ビックリしました。出勤途中、乗用車の中で、ラジオでアナウンサーが訳のわからない実況をしていたのを忘れられません。

  2. SECRET: 0
    PASS:
    まこさん>
    当時は、ほんまに大変でした。

    近々来ると言われる東南海地震の備えもしないと行けませんね。

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